【一悟一笑】 No.393 「 行 法 3 」
「 行 法 3 」
小生の好きな言葉に、
『 自己をならうとは 自己をわするるなり 』(道元禅師)
があります。
1ヶ月前に「 行 法 2 」を書いて以来、ずっと気になっていました、。(微笑)
まだ、書き足らないと、、。(笑)
気功の技のことを「 行法 」と呼ぶ理由とは・・。
「気功」を正しく続けていると、まず体調が良くなります。そして、精神も落ち着いてきます。その結果、運も向いてくるのだと思っています。そこまで含まれるから、「 行法 」と呼ぶのでしょうね。(微笑)
体調が良くなる具体的な例としては、まず身体が軽く感じられて、動作もテキパキしてきます。
つまり、自分の身体のことが気にならなくなるのです。(笑)
そうですよね!
肩が凝っている時は、肩の場所がわかるし、腰が痛い時は腰の位置を否応なく感じます。
胃が悪い時は、胃の位置がわかるし、目がおかしい時は、目に自然と意識が集まります。(微笑)
「からだ」に自分の意識を感じないくらい何の気掛かりもない状態が、「健康」なのです!
また、「精神」「こころ」でも同じことが言えます。
精神、こころが不安定な時は、自分のことで意識が一杯になり、他人の眼が気になったり、どうでもよいことにこだわったりします、。
反対に、「精神」「こころ」が健康な時は、自我意識も少なく、他人の眼もあまり気にならず、変なこだわりもありません。
やはり、精神面でも「健康」なときは、「自分」という意識を感じない、「我」がない状態なのです。(微笑)
まだ、ごく少数の会員さんやメンバーの方にしかお話ししていませんが、
気功を練功する目的の大きな柱の一つは、「『 我 』をなくす、または減らすこと」です。
だから、「 行 法 」なのです!(微笑)
「体操」や「運動」では、そんなことを言わないでしょ!(笑)
冒頭の名言に戻りましょう!
『 自己をならうとは 自己をわするるなり 』(道元禅師)
の意味は、
「 本当の自分を知るには、自分を忘れることが一番!」です。(笑顔)
実は、それを自然に実践しているのが、「赤子」なのです!(微笑)
やはり、「老子」の教えの原点はその辺にありそうですね!(ニッコリ!)
今日は、ここまで。
それでは、また。ごきげんよう!