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2023/03/11

【一悟一笑】 No.459 「 卯 年 」

「 卯 年 」

 「 そうでしたか、あの東日本大震災のときも「卯(う)年」でしたか!」
と、小生は昨日、仙台のO氏に上記のようなメールを返信しました。

 もうあれから、12年経つのですね、。遠い遠い昔のような気も致します、。
当時、仙台には「いずみ健美倶楽部」の気功をJR東日本仙台のジパング俱楽部で教えられていた佐藤先生がおられました。
たしか、6年前の90歳まで現役で気功の指導をされていて、現在は悠々自適の生活を送られています。

 佐藤先生は震災当日、ジパング俱楽部の気功のメンバーの方々と仙台市郊外の秋保(あきう)温泉のバス旅行をされていたそうです。
そのとき、大きな老舗旅館の玄関横の人の背丈より大きな石がまるでゴムまりのように跳ねた、と佐藤先生は真剣なお顔でお話しされました。
バスが帰りの仙台駅まで向かうのに、道路や橋脚の安全を運転手が確認しながらでしたので、本来ならば小一時間もあれば十分に着く距離なのに、3時間以上もかかった、と呆れ顔で話されていたことを今でも覚えています。(微笑)

 被害の大きかった仙台市若林区の荒浜という場所へは、小生とレオナ先生は、東北新幹線が開通してスグに向かいました。
まだ、自衛隊や警察の方々が現地の捜索をされていた時期でしたので、立ち入り禁止区域となっていましたが、佐藤先生のご親戚の家が荒浜にあったので、特別に入らせていただくことが出来ました。

 帰りに、その近くの避難所に立ち寄らせていただいて、何かお困りなことはないか、私たちに出来ることがないか、とお伺いしました。Oさんという、キリンビール仙台工場で管理職をされていた方がそこの責任者でいらしたので、作業の合間にお話しをお訊きすることが出来ました。

 このコロナ禍の3年間は、仙台には慰問に行けませんでしたが、それまでは毎年のように伺っておりました。
それらの慰問も、すべてそのO氏が情報提供やアレンジをして下さったおかげで出来ました。本当に信頼できる方にご縁があって良かったと、とても感謝しています。(微笑)

 今でも、O氏との手紙やメールのやり取りは続いていて、O氏からの一番直近のメールでは、
「 あの時と同じ「卯年」が来て、あれから12年が経ちました。今現在、仙台市内のあちこちで「十三回忌」の法要が営まれております。」と記されていて、
最後に
「 何か、一区切りであるようにも感じています。」と結ばれていました。

 「 卯年、12年(干支の一巡)、十三回忌、一区切り 」
「 歳月人を待たず 」ですね!(ニッコリ!)

 今日は、ここまで。
それでは、また。ごきげんよう!