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2023/09/12
【一悟一笑】No.521 「 わたしたちの老子 」(33)
「 わたしたちの老子 」(33)
4年前、アジアで初めての日本開催で盛り上がった「 ラグビー ワールドカップ 」が、今、フランスで行われています。日本は、1次リーグ初戦のチリ戦に勝ちましたが、次回はイングランド戦です!強敵ですが、応援しましょうね!
さて今、不思議に思っていることがあります。野球やサッカーでは、そのチームの代表責任者が「 監督 」なのに、ラグビーやバスケットボール、バレーボールのワールドカップなどでは、「 ヘッドコーチ 」って呼んでいますよね、? 慣習なのでしょうか、?
ご存じの方があったら、ぜひお教え下さい。(微笑)
小生の勝手な思い込みですが、「 ヘッドコーチ 」よりも「 監督 」の方が、偉い感じがします、。(笑)
さて、今年の3月にやはり「 ワールド・ベースボール ・クラシック」で世界一になった、侍ジャパン・野球チームの栗山監督が、以前こんなことをおっしゃっていました。
「 監督は、無私でなければ務まらない!」
やはり、上に立つ人は「 無私 」=「 我 」があってはいけないのだ!と、改めて悟りました。
『 老子 』に、こんな文章があります。
「 三十輻(ふく)、一榖(こく)を共にす。
その無に当たりて、車の用あり。」 『 老子 』 第11章
現代風に訳しますと、自転車の車輪に30本のスポーク(針金状でタイヤの内側と車輪の中心をつないでいるもの)があるとしましょう。これらのスポークは中心で集まっていますが、その中心部には「 中空の穴 」があります。
そして、この「 中空の穴 」がないと、車軸を通せないので、車輪の役割を果たせません。
小生、『 老子 』のこの文章に触れるとき、中心が「監督」で、スポークが「選手」というイメージが浮かんできます。
この中心部が「 中空の空っぽ 」であることが、先ほどの栗山監督のおっしゃっていた「 無私 」=「我がない」に通じるのだと思っています。(微笑)
そして、それが「 無私 」であればあるほど、無尽蔵の働きをするような気がしてなりません!(ニッコリ!)
今日は、ここまで。
それでは、また。ごきげんよう!